東山紀之(当時40)を担当にした私(当時18)の話
五関くんの誕生日のおめでとうツイの1つとして、Twitterでこんなことをつぶやきました。
18歳のある日、私は当時41歳の東山紀之に落ちました。その日から、男は40代からだ…!!と思って生きてきました。五関さんはまだ30代。1人の男として、1人の人として、これからもっともっと魅力的な人になっていくのかなと楽しみにしています^^
— emi☆ (@sntS2abcz) June 16, 2015
※当時41歳ではなく、当時40歳です。
最近、どうして今の担当に出会ったのかということを書いた記事を見かけることが多いので、今日はその18歳のある日のことについて書きたいと思います。
あのとき貴方はあのドラマに出ていました
遡ること8年前の2007年。
当時大学受験生の2年目を過ごしていた私。
毎日Do As Infinity*1を聴きながら予備校に通っていました。
そんな受験生だった私は、日々の受験勉強の息抜きとして、毎週あるドラマを見ることにしました。
たまたまテレビを見ていて、ドラマのCMを見て「そういえば1見たことないから、どんな話か知らないなー。見てみるか。」という軽い気持ちで見始めました。
東山さんと言えば、「@サプリッ!」のMCだったという記憶しかありませんでした。
東山さんがジャニーズであることも、少年隊であることも、少年隊がジャニーズであることも、とにかく何も知らなかったのです。
あとはクールであること、そして森光子さんというイメージしかありませんでした。
ドラマの方は毎回出てくる料理がおいしそうで、楽しくみていました。
1つ変わったことと言えば、飄々とした東山さんがすごく新鮮だ!と思ったことでした。
東山さんってこんな役もやるのか!と東山さんのイメージを覆しました。
「平成夫婦茶碗」も見ていたのですが、満ちゃんが東山さんだという認識が全くありませんでした^^;
そして、その瞬間はやってきたのです。
あのとき貴方は回っていました
それは第7話で突然やってきたのです。
東山さん演じる高野聖也が、須賀健太くん演じる金田一のクラスメイトで、運動が苦手な上原進の50m走のタイムアップのためのトレーニングのコーチをするというシーンでした。
真っ白なジャージを着た聖也が、足が速くなるトレーニングを伝授し、最終的にこれができるようになるものとして見せたのが“ベンチ宙”。
壁を蹴り上げ宙返りする壁宙ではなく、ベンチに足をかけて回るベンチ宙。
な、なんだ今のは…!?!?
この一瞬の出来事で東山さんは一気に気になる存在となったのです。
そして放送終了数時間後、寝るつもりでベッドに入った私は、東山さんのことが気になって調べ始めます。
東山さんが40歳であること、ジャニーズであること、少年隊であること、そしてJohnny's webの存在を知ることになります。
しかし、どんなに気になる存在であったとしても、有料のJohnny's webに登録することには抵抗がありました。
結局その日はそのまま眠りについたのでした。
「40歳でバク転、バク宙ができるなんてすごい!!」そう興奮しながら。
あのとき私は東山担になりました
第8話からはドラマを見る目的が東山さんを見ることになっていました。
ドラマ自体、食に関する知識を得られ、出てくるものもおいしそうで、それだけでも楽しめたのですが、クールなイメージだった東山さんのかわいくておちゃめな姿もまた、ドラマの楽しみとなっていました。
そして迎えた2007年6月23日、「喰いタン2」最終回。
最終回の日、予備校での授業を終えて、急いで帰宅し私は、母が同窓会で不在だったため、父と夜ごはんの支度をしました。
メニューはもちろん主題歌で歌われているナポリタン。
当時、実家暮らしだった私は台所に立つことをほとんどしていなかったのですが、ナポリタンを作るのは楽しかったです。
ついに始まった最終回。
東山さんの喰いタンも、森田剛くんや須賀くん、市川実日子さんとの掛け合いもこれで見納めか…と思うと寂しくなりました。
あぁ…終わってしまう…東山さん…!!!!
ホームズ・エイジェンシーに泊まり、聖也と剛くん演じる野田涼介が布団を並べて語らうシーン*2を見ながら、どんどん寂しくなる私。
それと同時に「あぁ…なんかジャニーズっていいなぁ」とここでようやく、ジャニーズが良いという気持ちが芽生えました。
最終回を終えて寝る時間となり、また調べ始める東山さんのこと。
気になるのはJohnny's webの中の世界。
「喰いタンが終わってしまった今、もうここしかない…!!」
祝☆Johnny's web入会!課金!チャリン
こうして18歳の私は東山担になりました。
東山担になって変わったこと・良かったこと
東山担になって変わったこと、それは進路。
当時、九州に住んでいた私は、大学進学は遠くても大阪までと決めていました。
ですが、東山担になって「少年隊PLAYZONE」の存在を知った私は、「大学に合格したらプレゾンが観たい!」と思うようになり、関東の大学も視野に入れるようになりました。
そして、センター試験の自己採点の結果を受けて、関東の大学を受験。
試験を終えた私は、同時期東山さんが舞台をやっていたBunkamuraシアターコクーンに立ち寄り、『さらば、わが愛 覇王別姫』のフライヤーを入手。
受験の前々日に買った東山さんが表紙の「acteur」を読みながら九州へと戻っていきました。
大学には無事に合格し、ついに関東での生活が始まったのでした。
しかし、私が大学進学したその年に「少年隊PLAYOZNE」はFINALを迎えてしまうことになります…。
「少年隊PLAYZONE」の話はまた別の機会に。
そして東山担になって良かったことは、私のキャラができたこと。
大学に進学して、新入生のイベントで自己紹介をした際、「好きな芸能人は東山紀之さんです!」と言うことで、すぐに覚えてもらえたこと、話のネタになったこと、キャラになったことは、新しい環境での新生活が始まった私には良かったなと思います。
大学を卒業した今でも、たまに大学の友達に会うと、「最近ヒガシどう?」と聞かれます。
「今年ドラマ出過ぎて、レコーダーの容量なくて大変だよ~(レコの中ほぼA.B.C-Zだけどな)」と返していますw
東山紀之(48)が担当の1人である私(26)の現在
あれから、東山さんは48歳。
2010年には結婚し、今では2人の娘さんを持つ超親バカパパとなりました。
今年9月には49歳、来年にはついに50歳、少年隊全員が50代になります。
そして私は大学を卒業し、社会人4年目の26歳。
2010年からは少年隊とA.B.C-Zの掛け持ちも始まりました。
少年隊のグループとしての活動がない今、ジャニヲタライフの比重は、明らかにA.B.C-Zの方が大きいです。
それでも今の私の礎は、東山さんであり少年隊です。
明日で、ジャニヲタ9年目突入です。
6/23サマパラ振込の締切だけど、その日は私が東山担になった日。そのことについて今更ながら残しておきたいと思って、ブログ書いてる。大事な出来事だけど、記憶の大半が出来事だけで、感情はあまり覚えていないなぁ…^^;
— emi☆ (@sntS2abcz) June 20, 2015
とはいえ、ヒガシがいなかったら今の私はいないし、今の人間関係は結びつかなかったし。今ではほぼほぼ褒めたりかっこいい♡ということはないんだけど、やはりヒガシなしの人生はありえないと思うから、感謝してます。
— emi☆ (@sntS2abcz) June 20, 2015
むしろ、最初はトリオ・ザ・シャキーン担だったかも?
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*1:高校1年生のときから好きでしたが、2007年当時のDo As Infinityは解散していた時期でした
*2:横浜ホームズ・エージェンシーを離れることになった聖也の提案で涼介と2人でホームズの泊り、最後の夜を過ごすことに。